前のエピソード
大学のためでも、就職のためでもなく、『自分を変えたい』という、何ともぼんやりとした理由で、特にビジョンもプランもないまま、引っ越してきてしまった。
引越し代は、ハイシーズンで、かなり高くついた。
他の人と違って、別に四月一日に間に合わせなくてもいいのだから、節約のためにずらせば良かった気もしたけど……数少ない『京都を選んだ理由』に間に合わせるには、少々高くても、三月中に引っ越す必要があった。
始発の時間に合わせて少しだけのんびりしたあと、服を着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして、外へ出た。
まだ暗い。
誰とも目を合わせることなく電車を乗り継いで、約一時間。
着いたのは、仁和寺。桜の名所だ。
仁和寺の満開の桜越しに、日の出を見たい――これが、引越し先を京都にした理由で、でも『そんなもの旅行で行けばいいじゃないか』と言われるのが嫌だから、誰にも言わなかった。
嵐電から降りると、空が白み始めていた。
冷えた空気を、肺いっぱいに吸い込む。
まだ開いていないだろうから、敷地の外から眺めるつもりだった。
どこがいいかと思案しながら、お寺の周りを散策する。
当たり前だけど、ひとっこひとりいなくて、早朝に出てきた甲斐があったと思った。
別に信心深いわけでもないし、お寺で自分を見つめ直そうとかそういうつもりもなく、もちろん、桜を見て心を清めようというわけでもない。
関東民のわたしにとって『行ける異世界』が京都で、こうして早朝の御室桜を眺めるくらいが、生活力のないわたしの精一杯の現実逃避だった、のだけど。
「何してんの?」
突然後ろから声をかけられ、ほぼ飛び跳ねるように振り向くと、若い男性がいた。
着物姿。表情ゼロの整った顔で、こちらを見ている。
「えっと……桜を見に」
「こんな時間に?」
びっくりしすぎて、心臓が口から出そうだった。
ドキドキしつつ、異世界の現地人を見る。
いや、現地人か?
「あー……ひとりで静かに見たいなって思って」
「ああ、そういうこと。ごめんね、話しかけて」
やはり、完全に標準語だ。
さらに現実に引き戻された感じがして、やや腹が立った――もちろん、この人に悪気がないのは分かっている。
「若いお嬢さんがこんなところでひとりって、なんか危ないかなって思って」
「変質者とか出るんですか?」
「まさか」
男性は首をすくめてから、桜を指さした。
「たまにね、いるんだよ。仁和寺の桜を最後の景色にしたがる人。目に焼き付けて、死ぬんだって」
複数見てきた、みたいな口ぶり。
出身がここではないにしろ、長く住んでいる住人ではあるのかも知れない。
「わたしは自殺志願者ではないですよ」
「そう、なら良かった。朝っぱらから胸くそ悪い思いしたくないしね」
微かに笑う顔をぼーっと眺めながら、不思議な人だなと思った。
さっきから失礼な発言ばかりしているのに、なぜか心が落ち着く。
声質と、抑揚のないしゃべり方のせいかも知れないし、人を食ったような態度が、非現実っぽいからかも知れない。
僕は、北陸からでてきた新大学1年生を想定していましたw
僕のイメージとは違う方向で、紡いでくださり面白かったです。
文体も似せていただいるのでしょうか、嬉しい限りです!!
ぼかして書いてくださったので、けっこう自由に設定加えられて楽しかったです!