第2話 仁和寺の桜

始発に乗って、桜の名所・仁和寺へ向かうと……


前のエピソード

 大学のためでも、就職のためでもなく、『自分を変えたい』という、何ともぼんやりとした理由で、特にビジョンもプランもないまま、引っ越してきてしまった。

 引越し代は、ハイシーズンで、かなり高くついた。

 他の人と違って、別に四月一日に間に合わせなくてもいいのだから、節約のためにずらせば良かった気もしたけど……数少ない『京都を選んだ理由』に間に合わせるには、少々高くても、三月中に引っ越す必要があった。

 始発の時間に合わせて少しだけのんびりしたあと、服を着込み、マフラーをぐるぐる巻きにして、外へ出た。

 まだ暗い。

 誰とも目を合わせることなく電車を乗り継いで、約一時間。

 着いたのは、仁和寺。桜の名所だ。

 仁和寺の満開の桜越しに、日の出を見たい――これが、引越し先を京都にした理由で、でも『そんなもの旅行で行けばいいじゃないか』と言われるのが嫌だから、誰にも言わなかった。

 嵐電から降りると、空が白み始めていた。

 冷えた空気を、肺いっぱいに吸い込む。

 まだ開いていないだろうから、敷地の外から眺めるつもりだった。

 どこがいいかと思案しながら、お寺の周りを散策する。

 当たり前だけど、ひとっこひとりいなくて、早朝に出てきた甲斐があったと思った。

 別に信心深いわけでもないし、お寺で自分を見つめ直そうとかそういうつもりもなく、もちろん、桜を見て心を清めようというわけでもない。

 関東民のわたしにとって『行ける異世界』が京都で、こうして早朝の御室桜を眺めるくらいが、生活力のないわたしの精一杯の現実逃避だった、のだけど。

「何してんの?」

 突然後ろから声をかけられ、ほぼ飛び跳ねるように振り向くと、若い男性がいた。

 着物姿。表情ゼロの整った顔で、こちらを見ている。

「えっと……桜を見に」

「こんな時間に?」

 びっくりしすぎて、心臓が口から出そうだった。

 ドキドキしつつ、異世界の現地人を見る。

 いや、現地人か?

「あー……ひとりで静かに見たいなって思って」

「ああ、そういうこと。ごめんね、話しかけて」

 やはり、完全に標準語だ。

 さらに現実に引き戻された感じがして、やや腹が立った――もちろん、この人に悪気がないのは分かっている。

「若いお嬢さんがこんなところでひとりって、なんか危ないかなって思って」

「変質者とか出るんですか?」

「まさか」

 男性は首をすくめてから、桜を指さした。

「たまにね、いるんだよ。仁和寺の桜を最後の景色にしたがる人。目に焼き付けて、死ぬんだって」

 複数見てきた、みたいな口ぶり。

 出身がここではないにしろ、長く住んでいる住人ではあるのかも知れない。

「わたしは自殺志願者ではないですよ」

「そう、なら良かった。朝っぱらから胸くそ悪い思いしたくないしね」

 微かに笑う顔をぼーっと眺めながら、不思議な人だなと思った。

 さっきから失礼な発言ばかりしているのに、なぜか心が落ち着く。

 声質と、抑揚のないしゃべり方のせいかも知れないし、人を食ったような態度が、非現実っぽいからかも知れない。


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小野じゅん

ライトミステリーを書く人。花札廃人。和菓子を食べる職人。公募がメインですが、過去作はカクヨムに載せています。将来の夢はものしり博士です。
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