あれは私が十歳の頃、病気の母の薬代を少しでも稼ぎたくて、家の前でレモネードを作り始めた日。
少し歳の離れた兄は私と同じく、病気の母の薬代を稼ぐため、学校を辞めてアルバイトをしていた。
「なぁ、じゅん」
「なぁに、お兄ちゃん?」
兄は私が家の前で売り始めたレモネードを注文しながら私に話しかけた。
「お前のレモネードはまじうまい」
「はーい、百円になりまーす」
きっと、兄は私の気持ちを汲み取ってくれたのだろう。
「はいはい、百円ね」
そう言って、ただの作業机に布をかけただけのレモネードショップの缶詰(レジ)に小銭を放り込んだ。
「まいどあり~」
「じゃあ、行ってくるよ」
それが、兄との最後の会話だった。
私はレモネードを作るのにインターネットで見つけたレシピを使った。
父親がまだ生きていたころに買ってくれたタブレット端末は十歳の私でも、容易にインターネットの世界を楽しめた。
『レモネードの作り方』
文字を打てなくても、話しかければそのタブレットは私の知りたい情報を画面に映し出す。
「どれどれ~」
私は、何ページかめくりながらおいしそうな写真のレモネードレシピのサイトをクリック。そこに書いてある通りにレモネードを作った。
でも、そもそも人通りの少ないうちの前のこの通りでレモネードを買ってくれるのは兄だけだった。
たった一日でレモネード販売を諦めた。兄が買ってくれた一杯のレモネードだけがその日の売上だった。
夕方には、片付けをして兄の帰りを待ったが、その日以降、兄の姿は見ていない。
病気の母を看病しながら、家にあったシリアルを食べ続けていたが、とうとう調理せずに私が食べられそうなものは底を尽きた。
それと同時期、何度呼びかけてもお母さんは返事をしなくなった。
私は兄が買ってくれたレモネード代金の百円を握りしめ、家を出た。兄がいなくなってから二週間ほど過ぎた頃だった。
『いいか、じゅん。困ったら教会に行くんだ』
私は兄の言葉を覚えていた。
教会に着いた私は、近くにいたおばちゃんに百円を渡し、助けてくださいとお願いすると、おばちゃんは百円玉を手に取り、私の手のひらに百円玉を戻した。
「何があったかわからないけど、これは大事にとっておきなさい。とりあえず、中に入ってお嬢ちゃん」
私は教会のことを何も知らない。ただ、困ったら行きなさいという兄の言葉を守っただけだ。
「何があったのかな?」
おばちゃんは優しく私を抱きしめながら、ずっと頭を撫でてくれた。
そして──今日は私、柏じゅんの十七歳の誕生日。
「行ってきまーす」
「車に気を付けるんだよ!」
教会の宿舎の玄関先から、おばちゃんの言葉にウィンクで返事した私は、学校へと向かう。
ママチャリはいい。
カゴが付いた三段変則のママチャリは、川沿いの土手を軽快に走る。立ち漕ぎで通学路をぐんぐんと駆け抜ける。穴を開け、革紐を通した百円玉が首元で揺れる。
「!」
私は急ブレーキをしてなんとか衝突は避けたが、突如ひとりのレモンが私の通学路に立ちはばかり、目の前の空中にウィンドウズ95の警告メッセージ風なちょっぴり古めかしいウィンドウが唐突に現れた。
『▶話しかける』
『▷戦う』
これはどちらかを選択しろということなの?
二話 爽やかマリンビーチ!南国テイストレモネード!
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